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大伝馬町一之部会長の石倉さんに伺った日本橋のこれから

  4月28日開所した、「協働ステーション中央」に訪れていただいた大伝馬町一之部会長の石倉知之さんを、早速訪ねてお話を伺いました。
   日本橋大伝馬町一之部会長 石倉知之氏
 江戸開府以前の大伝馬町あたりは、葦の生える海辺でした。江戸城築城とともに今の東京駅あたりの宝田村の人が、埋め立てられた今の日本橋本町・大伝馬町に移り、宝田鎮守社も移されて恵比寿さまを徳川家康より授かりました。関西を中心に多くの商人が商い毎に棲み分けて店を構え、大伝馬町一丁目(現在の本町三丁目東会)は「木綿店」と呼ばれました。両側に並ぶ大店の家並みは、広重の「東都大伝馬街繁栄の図」にうかがえます。(石倉さんの写真・背景に繁栄の図)

 「腐れ市」から「べったら市」へと今もにぎわう10月19・20日の市は、宝田恵比寿神社で始まったまつり。その場所は、江戸の名主頭までなった馬込勘解由比の屋敷内でした。詳細は、石倉さんが歴史資料をたどって、大伝馬町一の部のホームページに掲載されています。 
   1 大伝馬町のはじまり
   2 宝田恵比寿神社の由来 
   3 べったら市の起源 
   4 天王祭り(牛頭天王・八雲神社) 
   5 天下祭り(大伝馬町の諫鼓山車) 
   6-1 椙森神社の恵比寿神(1)
   6-2 椙森神社の恵比寿神(2)
   7 現在のべったら市
   8 遷移発足四百周年記念会 
       以上のホームページ:調査・文責:石倉知之
                 (H14~大伝馬町一之部町会会長)
   9 大伝馬町一之部町会青年部 
 日本橋を渡り、上野に抜ける中央通りは、明治の文明開花期に、新橋から銀座・京橋の煉瓦街となり、現代の賑わいに繋がります。この日本橋本町通りと中央通りが都市東京開発の大きな2軸で、その交差する付近の大伝馬町です。関東大震災後は、昭和通りが本町通りを分け、戦争前の統制経済で大店の過半が廃業、戦後高度成長期には高速道路が壁となって、今の大伝馬と本町を隔てています。江戸時代には、関西商人の江戸店が栄え、明治以後の工業化にそって、商業とともに、全国の様々な物産の卸売り・商社が増え、東京の拡大とともに拡散してきました。多くの方が商店主から地主・ビル主になり、都心の再開発が進む最近は、管理会社に運営されるところも増えています。沽券とは土地の権利書のことであり、’沽券にかかわる’とは、店子を預かる家主の気概、’江戸しぐさ’とも言われた街暮らしの粋でした。東京になり、工業化による都市拡大、そして情報化による機能別の土地利用が流動化した果てに、都心回帰・職住近接・再開発が進みます。

 日本橋を町名の頭に戴く地域は広く、奥深い。しかし、震災後の昭和通り、高度成長期に築かれた高速道路が隔てています。あの越後屋からのグループが展開する日本橋室町からの再開発・高層ビルの展開が、分離された日本橋の南北や昭和通りの東西をつなぐ手がかりになるかどうか?
日本橋は、本町通りなど商店・問屋・卸し・商社が栄え、人・モノ・情報一緒に行き交った街。人づきあい・モノの見分け・楽しみ方まで、街暮らしの知恵や楽しみ方が残ります。伝統や気風を知る地元の方々と、よく働き・社交好きの職住接近・新世代が、日本橋・中央区には集まっているのではないでしょうか?アンテナショップ・フラッグショップが集中しアジアから人が集まるのは訳があるはず。この街の「文化」を、リアルとネットワークが相乗するこれからの情報時代に活かし、地域力とできるかどうか?アジアの時代には、西欧舶来の街暮らしではない可能性があるのではないでしょうか?

 石倉知之さんは、太物の伝統を継ぐ包帯を扱う家に育たれ、フルブライト留学でテキサス大で研究された世界的な微生物学者です。会長として地域の歴史をひもとき、自治会役員の連絡方法、ホームページの活用など、次の世代に手がかりを残してゆかれています。自治会が新たに住む住民と、共通の課題・話題を分かち合う手がかり。その街好き・社交好きから、情報・対話・活動へと展開できる地域力。お話をうかがうほどに、これからの日本橋の可能性を感じた一時でした。

<取材・記録: 藤井俊公> ・・・
・所感・・・
宝田恵比寿神社 パノラマ
現在の宝田恵比寿神社を中心に写したパノラマ写真です。神社の左右は駐車場で、左遠方に昭和通りの首都高速が見えます。かっては、路面から商いがうかがえた通りも、ビルになり内部の様子は分かりません。事業内容が変化し、再開発が進み、ビルが大規模になるほどに、お互いの営みも分かりません。日々の挨拶・対話により仕事や生活の直接の情報交換が減ってしまい、地域固有の力を溜めることが難しくなっています。マスコミ依存だけでは、キワモノの刹那のスキャンダルが優先され、長期的には規模の競争になります。、インターネットだけに依存するのでは、この日本橋でなければという地域性は活かされず、表現できない地域社会の魅力は、伝えられず、散逸してゆきます。
まちひとサイトでは、いろいろな方々にお会いして、個別の事業者・グループ・個人では活かしきれない手がかりを、うかがってゆきます。
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