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佃島旧飯田家住宅の活用意義は? 報告書と見学会から

佃島旧飯田家住宅活用委員会による報告書(2023年6月)から読み取ったことと、11月11日の見学会のスナップです。

江戸時代以来の埋め立て以来の地籍図・土地台帳を辿り、大正9年(1920年)の主屋棟、昭和初期の離れ棟を図面に起こした記録です。日本橋魚河岸に店を持つ魚問屋と漁師中心の島が、幕末期に設置された石川島造船所の発展。明治20年代の月島の埋め立てによる町工場の急増と労働者層の居住する長屋建築の浸透が、佃島の居住環境を換え、長屋建てと二階建てが増えていた。旧飯田家主屋棟は大正9年(1920年)、離れ棟は数寄屋意匠で昭和初期の建築。
母屋は、魚問屋の生業のための生け簀や屋内に取り込まれた井戸を備えていますが、関東大震災後には移転した築地魚河岸にて、事業を続けていました。
旧飯田家住宅ほ都市史・建築史的価値は
1.旧飯田家住宅の建つ敷地の矩形地割が、近世における佃島の屋敷地割の実態と変容を示すこと。
2.短冊形地割の両側の路地の巧みな利用に、佃島の路地の暮らし方が表現されていること。
3.佃島住吉神社例祭における下町(佃住吉講弐部)祭礼拠点としての利用など、地域コミュニティの拠点として重要な役割を持っている。

クラウドファンディング参加者との見学会 2023年11月11日
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取材・記録:まちひとサイト
あとがき> 江戸時代から明治・大正・昭和時代へ、近世から近代へ。漁業と魚問屋などで、自然と町の両面に対峙してきた佃島暮らしを、その大正から昭和にかけての母屋と離れの造りから窺うことができました。
近世江戸時代からの大がかりな佃住吉講による住吉神社例祭、無縁仏を供養する佃島盆踊も東京都無形文化財に指定され、今も活き続けています。
この飯田家住宅は祭などでは住吉講弐部の拠点として、また唄と太鼓で佃島盆踊を囃した、飯田恒夫さんのお姉さんの写真も仏壇の前に残されていました。

令和五年佃住吉神社例大祭 全記事リンク集:佃住吉講の祭りぶり、まち暮らしの心身没入の場


飯田恒夫追善供養を兼ねた無縁仏供養の佃島盆踊、雨も上がった二日目


現代化を進めソトに開いた祭り、無縁仏を供養する社会に開いた盆踊り、そして、地域社会生活の拠点でもあった旧飯田家住宅です。
町工場の発展とともに拡大した月島・勝どき・晴海などが、市場原理による合理的な再開発が進む中、月島長屋学校も、道に開いていた子育て広場’あすなろの木’も、佃島に移ってきたのは何かの縁。
小橋を渡った番小屋は、佃住吉講参部の生活拠点として使われています。この旧田島家住宅も保全され、この空間が活用されることを楽しみにしています。

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