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令和五年 佃住吉神社例大祭 宮神輿 佃住吉講各部渡御の後、佃を出て月島へと御旅所渡御

宮神輿渡御 年番町壱部 

弐部

参部

佃住吉講による、佃から月島・勝どき、御旅所渡御へ


宮神輿渡御は、月島から勝どきの御旅所まで、佃住吉講が担ぎ切ります。
その後、6日には晴海、勝どき・豊海の町会・睦会による渡御後、御旅所着輦祭が行われます。
7日、御旅所発輦祭後、勝どき・月島・新佃を巡行して、宮入です。

令和五年 佃住吉神社例大祭 佃住吉講
2023年8月6日 東京都中央区佃
取材・記録:まちひとサイト
あとがき>
住吉神社の御霊が、5日夜宮神輿に移され、7日宮出し、船渡御による海上祭、島を巡り、住吉講、町会・睦会を巡って、豊穣と安寧を祈ります。

かっては、自然相手の漁の安全と大漁の願いを伴にし、力を合わせ・補い合う島が、近代化の中、石川島の造船傘下の町工場の町へと埋め立て、拡げられた新佃・月島・晴海です。
参部(東町)の三角公園の東が埋め立てられて新佃に。石川島の造船所からを月島に渡った西仲通りは、かって島内と渡しで通う人の商店街でした。
造船工場の正社員・臨時工、各地から集まったきた住まいは、埋め立て工場地の大区画に、江戸長屋形式を持ち込んだものです。晴海住宅は、モダンな都市共同住宅の典型。地上階に店舗のある共同住宅は、東中通りにまだ残っています。
勝どき橋で都電が走り、佃大橋で佃島は堀を残し、島でなくなりました。町工場と行員の住宅、その外れの国際展示場や、築地市場と関わる冷凍庫・倉庫群という印象で、産業道路の中の、6間・3間を更に3~4尺の路地が月島長屋の住まいを繋いでいました。

石川島造船所の跡地がリバーシティ21、民営と公団の高層マンションから、車で東京駅に直結です。
地下鉄メトロの月島駅、都営地下鉄の勝どき駅。ゆりかもめの豊洲ー晴海ー豊海ー築地ー新橋間建設中止が、晴海トリトンタワー建設後の勝どき駅乗降客の激増の遠因でしょう。
そして、高層マンションが増えるほどに、晴海の人の交通問題は深刻になり、 西仲通りの商店街が飲食店街に変わってきたのは、月島駅の便でもあるでしょう。
大規模再開発が進み、同時に数百・千世帯が転入し、東京郊外の高齢者ばかりでなく、職住近接の共稼ぎ、非居住の投資者が増え続けています。
そして、入居が間近な晴海フラッグは、自動車道路で大ブロックに分け、連結バスで、豊洲から虎ノ門の地下鉄駅を結びます。

佃島の路地は、2尺ほどで、月島や築地に残る路地より狭い、軒先の感じです。 佃大橋がかかり、佃の渡しもなくなり、佃大橋の下を駐車場にして、ほぼ人しか歩かない静かなまちでした。 漁をして、白魚を幕府に献上し、残りは日本橋などで棒を担いでうっていた江戸以来、佃住吉講は、競い合いながらも、互いに助け合い、喜び合い、また島で纏まる気風を持ち続けてきたのでしょう。

獅子頭の築島・勝どきの巡行、宮神輿の渡御、佃住吉講・連合睦会・連合町会が担ってきた町の人の暮らし方、また周りの都会とのかかわり方が、どう変わってゆくのか? なぜ、摂津佃村以上に、この江戸佃島に残り、若衆が集まっているのか?
佃島内、壱部・弐部・参部それぞれに、集まり方・盛り上がり方が、宮神輿の渡御・担ぎぶりで感じられたでしょうか?
取材・記録の記事を続けてゆきます。


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