東京大空襲を想い起し 日本橋浜町から 頼り合うまち暮らしを
【防災・危機対応】 - 2022年03月29日 (火)
3月13日日本橋五の部親子防災と伴に、東京大空襲での被害者を悼み、有馬小学生・久松小学生も作り合った灯篭に火を点しました。

2022年3月13日 中央区立浜町公園
主催:日本橋五の部連合町会
取材・記録:まちひとサイト
・ 日本橋五の部親子防災フェスティバルの3月10日に、平和の集いで東京大空襲慰霊 (2019年)
・ 京橋界隈の変わりよう、空襲 中村梅吉さんに伺う
あとがき> 東京大空襲は、日本各地の空襲・艦砲射撃と同様に、市民へに無差別爆撃でした。石油輸入が止められた経済封鎖に耐えきれず、油田地帯の西南アジアへと開戦した相手は、植民地を持つ欧米諸国だった。2発目の原爆を含め、これほど徹底的に虐殺されなければならなかったのか? 敗戦後四半世紀を経て、戦争被災体験者が全て後期高齢者になる時、私たちは何を想い起し、この米国一強の時代が終わる先の生き方を、決めてゆかなければならないでしょう。

2022年3月13日 中央区立浜町公園
主催:日本橋五の部連合町会
取材・記録:まちひとサイト
・ 日本橋五の部親子防災フェスティバルの3月10日に、平和の集いで東京大空襲慰霊 (2019年)
・ 京橋界隈の変わりよう、空襲 中村梅吉さんに伺う
あとがき> 東京大空襲は、日本各地の空襲・艦砲射撃と同様に、市民へに無差別爆撃でした。石油輸入が止められた経済封鎖に耐えきれず、油田地帯の西南アジアへと開戦した相手は、植民地を持つ欧米諸国だった。2発目の原爆を含め、これほど徹底的に虐殺されなければならなかったのか? 敗戦後四半世紀を経て、戦争被災体験者が全て後期高齢者になる時、私たちは何を想い起し、この米国一強の時代が終わる先の生き方を、決めてゆかなければならないでしょう。
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