忘れられていた震災避難記念碑を丸洗いは、シビック・プラウド育て
【防災・危機対応】 - 2021年09月23日 (木)
1924年の関東大震災時に避難と通行の役を果たした、当時鉄骨の新大橋に感謝しての避難記念碑と、避難誘導した警察官の活躍を想う「お助け橋」の石碑は、所轄不明で50年以上も放置されていました。
そこで、日本橋浜町エリアマネジメントが主催して、コロナ禍中ですので内輪で集って、「丸洗い」が実施されました。来年は、子ども達も交え、防災訓練の一環として、続けたいとの意向です。


主催:(一社)日本橋浜町エリアマネジメント 協力:
日本橋消防署浜町出張所、浜町二丁目町会
9月12日、日本橋浜町日本橋浜町二丁目 57 番地
取材・記録:まちひとサイト
あとがき> 木と紙と土でできた日本家屋の街で、地震・雷・火事・台風、などでも残り易いのは建築ではなく、石垣や石碑です。災害は誰にも訪れ、その対応の記念碑は、地域で共有できる変化しにくいメディアです。 普段は、浜町公園総合スポーツセンターやセレモニーホールへの自家用車での通りがかりで、歩行者・自転車の通りは少なく、忘れがちなところです。今回、この地を大切にする人たちが、集い・汗をかき・洗い・感謝し合う時を分かち合いました。
思い返せば、この話を伺ったのは、日本橋五の部の「親子防災たんけん オンライン」、当日の参加者は、日本橋消防署第五分団が中心です。
日本橋消防団 第5分団 平成28年度可搬ポンプ操法審査会
・ 日本橋消防団全分団 平成28年度可搬ポンプ操法審査会での記録
・ 平成27年度京橋消防団ポンプ操法大会 概要
・ 平成27年度臨港消防団、町会・自治会 合同ポンプ操法大会 概要
・ 日本橋五の部のオンライン防災訓練を繋ぐ日本橋消防団員・若手
・ 日本橋五の部親子防災フェスティバルの3月10日に、平和の集いで東京大空襲慰霊
・ 日本橋五の部「親子防災フェスティバル」打ち上げに見える地域活動運営経験者の厚みが 地域の力
江戸時代の町民自治の要:町火消の伝統が、明治・大正・昭和・平成と、機能別に解体分業され、市民は税と企業のサービスの消費者になってきています。多様な世代が多様な興味・ライフスタイルを選べる豊かな街が、合理的・分業に慣れて、互いを認め合う時も機会も失いがちです。
その中、市民からの危機対応は、地元の消防団員が、町会・企業を超えて繋いでゆきます。企業・施設の防災担当者が、自営防災訓練だけでなく、地域の消防団に入れば、もっと緊密になるでしょう。
そして、行政・企業の生活サービスの隙間を担うのは、市民からのタウンマネジメント組織ではないでしょうか? ここでは、浜町公園とこの震災避難記念碑が、これからののシンボルとして、手をかけ合い・汗を流し合いながら、語り合い・認め合う、丸洗いが年中行事になりそうです。
今回はコロナ禍中で、残念ながら反省会・情報交換会を開いて飲食をともにする場は持てなかったのが、残念です。
私達は、互いに認め合い・汗をかき合い・喜び合ってこそ、いざという時に信頼できる人の繋がりが拡がってゆくのでしょう。 このコロナ禍持続後の街で、どう暮らしてゆくか? もう、委縮しているばかりではいられません。
そこで、日本橋浜町エリアマネジメントが主催して、コロナ禍中ですので内輪で集って、「丸洗い」が実施されました。来年は、子ども達も交え、防災訓練の一環として、続けたいとの意向です。



主催:(一社)日本橋浜町エリアマネジメント 協力:
日本橋消防署浜町出張所、浜町二丁目町会
9月12日、日本橋浜町日本橋浜町二丁目 57 番地
取材・記録:まちひとサイト
あとがき> 木と紙と土でできた日本家屋の街で、地震・雷・火事・台風、などでも残り易いのは建築ではなく、石垣や石碑です。災害は誰にも訪れ、その対応の記念碑は、地域で共有できる変化しにくいメディアです。 普段は、浜町公園総合スポーツセンターやセレモニーホールへの自家用車での通りがかりで、歩行者・自転車の通りは少なく、忘れがちなところです。今回、この地を大切にする人たちが、集い・汗をかき・洗い・感謝し合う時を分かち合いました。
思い返せば、この話を伺ったのは、日本橋五の部の「親子防災たんけん オンライン」、当日の参加者は、日本橋消防署第五分団が中心です。
日本橋消防団 第5分団 平成28年度可搬ポンプ操法審査会
・ 日本橋消防団全分団 平成28年度可搬ポンプ操法審査会での記録
・ 平成27年度京橋消防団ポンプ操法大会 概要
・ 平成27年度臨港消防団、町会・自治会 合同ポンプ操法大会 概要
・ 日本橋五の部のオンライン防災訓練を繋ぐ日本橋消防団員・若手
・ 日本橋五の部親子防災フェスティバルの3月10日に、平和の集いで東京大空襲慰霊
・ 日本橋五の部「親子防災フェスティバル」打ち上げに見える地域活動運営経験者の厚みが 地域の力
江戸時代の町民自治の要:町火消の伝統が、明治・大正・昭和・平成と、機能別に解体分業され、市民は税と企業のサービスの消費者になってきています。多様な世代が多様な興味・ライフスタイルを選べる豊かな街が、合理的・分業に慣れて、互いを認め合う時も機会も失いがちです。
その中、市民からの危機対応は、地元の消防団員が、町会・企業を超えて繋いでゆきます。企業・施設の防災担当者が、自営防災訓練だけでなく、地域の消防団に入れば、もっと緊密になるでしょう。
そして、行政・企業の生活サービスの隙間を担うのは、市民からのタウンマネジメント組織ではないでしょうか? ここでは、浜町公園とこの震災避難記念碑が、これからののシンボルとして、手をかけ合い・汗を流し合いながら、語り合い・認め合う、丸洗いが年中行事になりそうです。
今回はコロナ禍中で、残念ながら反省会・情報交換会を開いて飲食をともにする場は持てなかったのが、残念です。
私達は、互いに認め合い・汗をかき合い・喜び合ってこそ、いざという時に信頼できる人の繋がりが拡がってゆくのでしょう。 このコロナ禍持続後の街で、どう暮らしてゆくか? もう、委縮しているばかりではいられません。