野澤松也 浄瑠璃三味線弾き語り ’音合わせ’から窺える 邦楽の面白さ
【まちひと文化】 - 2021年07月31日 (土)
宇多田ヒカルは【非】、浜崎あゆみは(整)、Glayは【非】 B’zは(整)
都はるみは、一つのフレーズで【非】(整)、美空ひばりは、「川のながれのように」は、曲の中で、【非】(整)
たけし は【非】、 タモリは(整)
【非】は、非整数次倍音、(整)は整数次倍音のことで、『倍音』中村明一著から、引用した、倍音の重なりかたの多様性の違いです。
歌舞伎義太夫三味線奏者 野澤松也師匠が、繰り返し語られる三味線の音色’さわり’は、この非整数次倍音のことで、浄瑠璃の語りの声色は、内容次第ということでしょう。

舞台前の音合わせを収録させていただきましたので、三味線の音色、語りの声色、それに伴う撥さばき・指さばき、の豊かさを、邦楽師匠の福原鶴十郎氏とお弟子の工藤静子さんのお囃子とともにご覧ください。
直近の舞台は、
野澤松也 浄瑠璃弾き語り 第52回 Tokyoライブ in 「那胡の会」(8/6金)

邦楽は、言語・音楽・音響を、間・呼吸・空間で表現し、洋楽は、音程・音量・速さを、五線譜で表現していると、中村明一氏が記しています。
洋楽の世界の参考に、『ピアニストの脳を科学する』古谷晉一著も紹介しておきます。
意識された整数次倍音を基調にした洋楽を精緻なピアノで演奏する「音楽する脳と身体の神秘が、脳科学・身体運動学からひもとかれています。

野澤松也 浄瑠璃弾き語り 第51回 Tokyoライブ in 「那胡の会」より
囃子方:福原鶴十郎 お弟子-工藤典子
2021年7月17日「那胡の会」
取材・記録:まちひとサイト
あとがき>
何故、まちひとサイトで邦楽をよく扱うのか? この非整数次倍音が、民族音楽ばかりでなく現代音楽やジャズやロック、ラップなど、私たちが明治このかた親しんだ西欧音楽にも増えてきました。西欧的な一方向・双方向などの意識的なコミュニケーションに比して、民族音楽は同期的・自己回帰的な音楽だと、『倍音』中村明一は語ります。
敗戦後は、さらに抽象化された米国文化に晒されて、意識的・合理的に、生活話題・課題を細分化し、機能別に分かれた組織でのコミュニケーションが中心になりました。家族・近隣の総合的生活が、障がい・介護・子育て・就業・地域生活など細分化し、世代・地域相互の関わり合いの薄くなり、生活サービスの消費者と提供者、意識的に分かれています。そして、コロナ禍が続き更に、人同士がネットで目的的にしか関わらなくなってゆく傾向です。
その関わりを支える言葉も世代・生活で細分化され、アイコンや記号化されて、単純化されてくるのは、丁度、整数次倍音が増え、非整数次倍音が減ることと考えられます。
他方、インターネット、デジタルコミュニケーションの普及は、記号/言葉ばかりでなく、図象・写像・映像・音響などの大量な情報を伝達・保存することができ、ライブ環境の豊かさを、伝えやすくなりました。そこで、日本・アジア的な情報の共時性・自己回帰性を伝えやすい、邦楽・芸能を、身近に伝える町衆の子ども歌舞伎や、祭囃子、木遣り、邦楽ライブなどを、取り上げ続けています。また、書家でも歴史家でもある、デジタル・ギターのJINMOさんのライブも、西欧楽器から音響へ拡がっている手がかりです。
この非整数次倍音のような豊穣な刺激は、身近な会話や盆踊り・祭りなどに含まれているものです。都会では人工物の整数次倍音が溢れ、子どもの声まで騒音扱いになりますが、自然の音は非整数次倍音に溢れています。
その共時性・自己回帰性が、理解しがたい相手への関心と共感と認め合いの手がかりになればと考えています。
分野・世代・地域間の孤立から、個別地域福祉分野に当事者が互いを認め合い参集して対応してゆく足掛かりです。
都はるみは、一つのフレーズで【非】(整)、美空ひばりは、「川のながれのように」は、曲の中で、【非】(整)
たけし は【非】、 タモリは(整)
【非】は、非整数次倍音、(整)は整数次倍音のことで、『倍音』中村明一著から、引用した、倍音の重なりかたの多様性の違いです。
歌舞伎義太夫三味線奏者 野澤松也師匠が、繰り返し語られる三味線の音色’さわり’は、この非整数次倍音のことで、浄瑠璃の語りの声色は、内容次第ということでしょう。


舞台前の音合わせを収録させていただきましたので、三味線の音色、語りの声色、それに伴う撥さばき・指さばき、の豊かさを、邦楽師匠の福原鶴十郎氏とお弟子の工藤静子さんのお囃子とともにご覧ください。
直近の舞台は、
野澤松也 浄瑠璃弾き語り 第52回 Tokyoライブ in 「那胡の会」(8/6金)

邦楽は、言語・音楽・音響を、間・呼吸・空間で表現し、洋楽は、音程・音量・速さを、五線譜で表現していると、中村明一氏が記しています。
洋楽の世界の参考に、『ピアニストの脳を科学する』古谷晉一著も紹介しておきます。
意識された整数次倍音を基調にした洋楽を精緻なピアノで演奏する「音楽する脳と身体の神秘が、脳科学・身体運動学からひもとかれています。

野澤松也 浄瑠璃弾き語り 第51回 Tokyoライブ in 「那胡の会」より
囃子方:福原鶴十郎 お弟子-工藤典子
2021年7月17日「那胡の会」
取材・記録:まちひとサイト
あとがき>
何故、まちひとサイトで邦楽をよく扱うのか? この非整数次倍音が、民族音楽ばかりでなく現代音楽やジャズやロック、ラップなど、私たちが明治このかた親しんだ西欧音楽にも増えてきました。西欧的な一方向・双方向などの意識的なコミュニケーションに比して、民族音楽は同期的・自己回帰的な音楽だと、『倍音』中村明一は語ります。
敗戦後は、さらに抽象化された米国文化に晒されて、意識的・合理的に、生活話題・課題を細分化し、機能別に分かれた組織でのコミュニケーションが中心になりました。家族・近隣の総合的生活が、障がい・介護・子育て・就業・地域生活など細分化し、世代・地域相互の関わり合いの薄くなり、生活サービスの消費者と提供者、意識的に分かれています。そして、コロナ禍が続き更に、人同士がネットで目的的にしか関わらなくなってゆく傾向です。
その関わりを支える言葉も世代・生活で細分化され、アイコンや記号化されて、単純化されてくるのは、丁度、整数次倍音が増え、非整数次倍音が減ることと考えられます。
他方、インターネット、デジタルコミュニケーションの普及は、記号/言葉ばかりでなく、図象・写像・映像・音響などの大量な情報を伝達・保存することができ、ライブ環境の豊かさを、伝えやすくなりました。そこで、日本・アジア的な情報の共時性・自己回帰性を伝えやすい、邦楽・芸能を、身近に伝える町衆の子ども歌舞伎や、祭囃子、木遣り、邦楽ライブなどを、取り上げ続けています。また、書家でも歴史家でもある、デジタル・ギターのJINMOさんのライブも、西欧楽器から音響へ拡がっている手がかりです。
この非整数次倍音のような豊穣な刺激は、身近な会話や盆踊り・祭りなどに含まれているものです。都会では人工物の整数次倍音が溢れ、子どもの声まで騒音扱いになりますが、自然の音は非整数次倍音に溢れています。
その共時性・自己回帰性が、理解しがたい相手への関心と共感と認め合いの手がかりになればと考えています。
分野・世代・地域間の孤立から、個別地域福祉分野に当事者が互いを認め合い参集して対応してゆく足掛かりです。