『月島再発見学』で、近代からの'まちぐらし'を再発見!
【地域社会】 - 2013年10月12日 (土)
『月島再発見学』が10月10日発売されました。


著者:志村 秀明
大きくは都市論、デザイン論、プロセスデザイン論を軸に、まちづくりに関する様々な研究
芝浦工業大学工学部建築学科教授、一級建築士
主な論文 : 住民主体のまちづくりデザインゲームによるまちづくり支援手法に関する研究 (早稲田大学学位論文)
地方都市の中心市街地におけるまちづくり協定の実態と役割~中心市街地再生のための協働型まちづくりの手法に関する研究~ (日本建築学会計画系論文集No.560,2002)
建築作品 : 月島の長屋再生(mr partner2004.5)
主な著書 : 生活景(学芸出版社2009)
まちづくりデザインゲーム(学芸出版社2005)
まちづくり教科書第3巻 参加による公共施設のデザイン(日本建築学会編・共著 丸善2004)
発行:株式会社アニカ
アニカの佃由美子さんに、あいおい文庫の古本まつりで久しぶりにお会いして、この企画を伺い取材させていただきました。
取材・記録:まちひとサイト 藤井俊公
あとがき>『月島再発見学』は、こんな時代の要請に、建築家として応えてくれるのではと(長文)
’住まい’と’まち’は、その時代・地域社会の暮らし方の関わりが’かたち’に表れてくる。
ざくっと言ってしまえば、竪穴住居のワンルームから、土間と床が別れ、田の字に仕切られ、機能分け、そぎ落とされたのが個室+LDK。垣根・塀・門・敷居・玄関・客間あるいは葬祭の間は、地域社会との関わり方。住まいの洋化は客間の洋室化から始まっている。障子・縁側・雨戸・軒は、屋外の光・庭・まわりの景色に開かれて、町屋の坪庭から床の間も、更に大きな自然に繋がっている。
明治以後の近代化の中で埋め立てでできた月島の長屋は、江戸の長屋とどう違うのか?毛細血管のような路地から通り、大通りには、長屋のいえ・まち・都市への段階的な暮らしの仕草が見えてくる。五人組から長屋の連帯責任制度は、政治と共同生活のしくみだった。村から家族・世帯から個人へとの近代化は、社会要員を機能分解し、生産・再生産力で男女・子ども・障害者・隠居者を分けてきた。
戦後の荒廃から高度成長の大夢がはじけた頃、ニューヨーク帰りの四方田犬彦氏は、月刊誌「すばる」への’月島物語’の連載をはじめ、1992年に18話の『月島物語』にまとめた。明治の富国強兵による近代化による埋め立て地から、太平洋戦争の空襲をうけなかった月島の戦後の変遷、工業化から情報化、都市拡大・ドーナツ化から再集中化・縮小化への始まりのころだった。それから更に20年、都市再生は、巨大再開発の私空間・自閉ビルと人道・車道・公園と更に分化・機能純化を進める。低・中層集合住宅から高層集合住宅へは、人間の認知次元を越えるスケールの違いがある。複合開発の店舗はゲート・タウン、巨大集合住宅は、ゲート・イン・コミュニティ。日々の自然な声えかけ・たたずみ・世間話は、閉じられたロビーにはなく、’コンシェルジェ’・管理人・警備員のサービスを消費する場となる。街の公共交通・通行結節点周辺は、最も利益をだせる企業の場となり、’まつり’も企画・運営・警備スタッフのイベント消費の場となる。
月島の長屋は、村社会や江戸の長屋のような共同体ではなかった。造船所・町工場、そして魚河岸関連に勤める近代勤労者が、互いの企業・職場を認め合い、ある一線を引いている住み込むところだった。311以後、’耐震・耐火・地域の安全性’へと、建物を放置しておけない状況がきている。世帯人数が減り、子育て・介護から様々な生活行動の外部サービス化がすすむと、いかにも大規模集合住宅で、集中した多様なサービスに依存する生活は便利だ。
しかし、解体・新築へ、大規模再開発を進めるばかりでなく、新旧伴に再生され、伴に住まう暮らしがあるのではないか?住み暮らす器や住まい方を、建物やサービス機能に依存する生活の脆弱さ・貧弱さが拡大するのではないか?人が’まち’に住むとは、単に生産や消費の利便だけで住むのではない。近代化により多くの人の衣食住が満たされた上での、多様な関わり方をもとめて、村から離れてきたのではないか?
現代は、会社村からも一線を引いた暮らし方をもとめる時代。コレクティブハウスやシェアハウスが増えきた理由は何なのだろうか?住まいだけでなく、過去の手がかりを残す町並みや町の暮らしかたも、街暮らしの多様性を支えるゼロからは作り直せない要素だ。住まいを分かち合おうとすれば、互いに話し合い、住み方の基準を決める。街を分かち合おうとすれば、街を語りあい関わり合う活動が持続する。そこには、生産と消費という匿名の市場交換可能な関わりではなく、実名の持続する関係が積み上げられてゆく。
2013年10月10日発刊の『月島再発見学』は、そんな時代の要請に、建築家として応えてくれるのではと、期待している。






著者:志村 秀明
大きくは都市論、デザイン論、プロセスデザイン論を軸に、まちづくりに関する様々な研究
芝浦工業大学工学部建築学科教授、一級建築士
主な論文 : 住民主体のまちづくりデザインゲームによるまちづくり支援手法に関する研究 (早稲田大学学位論文)
地方都市の中心市街地におけるまちづくり協定の実態と役割~中心市街地再生のための協働型まちづくりの手法に関する研究~ (日本建築学会計画系論文集No.560,2002)
建築作品 : 月島の長屋再生(mr partner2004.5)
主な著書 : 生活景(学芸出版社2009)
まちづくりデザインゲーム(学芸出版社2005)
まちづくり教科書第3巻 参加による公共施設のデザイン(日本建築学会編・共著 丸善2004)
発行:株式会社アニカ
アニカの佃由美子さんに、あいおい文庫の古本まつりで久しぶりにお会いして、この企画を伺い取材させていただきました。
取材・記録:まちひとサイト 藤井俊公
あとがき>『月島再発見学』は、こんな時代の要請に、建築家として応えてくれるのではと(長文)
’住まい’と’まち’は、その時代・地域社会の暮らし方の関わりが’かたち’に表れてくる。
ざくっと言ってしまえば、竪穴住居のワンルームから、土間と床が別れ、田の字に仕切られ、機能分け、そぎ落とされたのが個室+LDK。垣根・塀・門・敷居・玄関・客間あるいは葬祭の間は、地域社会との関わり方。住まいの洋化は客間の洋室化から始まっている。障子・縁側・雨戸・軒は、屋外の光・庭・まわりの景色に開かれて、町屋の坪庭から床の間も、更に大きな自然に繋がっている。
明治以後の近代化の中で埋め立てでできた月島の長屋は、江戸の長屋とどう違うのか?毛細血管のような路地から通り、大通りには、長屋のいえ・まち・都市への段階的な暮らしの仕草が見えてくる。五人組から長屋の連帯責任制度は、政治と共同生活のしくみだった。村から家族・世帯から個人へとの近代化は、社会要員を機能分解し、生産・再生産力で男女・子ども・障害者・隠居者を分けてきた。
戦後の荒廃から高度成長の大夢がはじけた頃、ニューヨーク帰りの四方田犬彦氏は、月刊誌「すばる」への’月島物語’の連載をはじめ、1992年に18話の『月島物語』にまとめた。明治の富国強兵による近代化による埋め立て地から、太平洋戦争の空襲をうけなかった月島の戦後の変遷、工業化から情報化、都市拡大・ドーナツ化から再集中化・縮小化への始まりのころだった。それから更に20年、都市再生は、巨大再開発の私空間・自閉ビルと人道・車道・公園と更に分化・機能純化を進める。低・中層集合住宅から高層集合住宅へは、人間の認知次元を越えるスケールの違いがある。複合開発の店舗はゲート・タウン、巨大集合住宅は、ゲート・イン・コミュニティ。日々の自然な声えかけ・たたずみ・世間話は、閉じられたロビーにはなく、’コンシェルジェ’・管理人・警備員のサービスを消費する場となる。街の公共交通・通行結節点周辺は、最も利益をだせる企業の場となり、’まつり’も企画・運営・警備スタッフのイベント消費の場となる。
月島の長屋は、村社会や江戸の長屋のような共同体ではなかった。造船所・町工場、そして魚河岸関連に勤める近代勤労者が、互いの企業・職場を認め合い、ある一線を引いている住み込むところだった。311以後、’耐震・耐火・地域の安全性’へと、建物を放置しておけない状況がきている。世帯人数が減り、子育て・介護から様々な生活行動の外部サービス化がすすむと、いかにも大規模集合住宅で、集中した多様なサービスに依存する生活は便利だ。
しかし、解体・新築へ、大規模再開発を進めるばかりでなく、新旧伴に再生され、伴に住まう暮らしがあるのではないか?住み暮らす器や住まい方を、建物やサービス機能に依存する生活の脆弱さ・貧弱さが拡大するのではないか?人が’まち’に住むとは、単に生産や消費の利便だけで住むのではない。近代化により多くの人の衣食住が満たされた上での、多様な関わり方をもとめて、村から離れてきたのではないか?
現代は、会社村からも一線を引いた暮らし方をもとめる時代。コレクティブハウスやシェアハウスが増えきた理由は何なのだろうか?住まいだけでなく、過去の手がかりを残す町並みや町の暮らしかたも、街暮らしの多様性を支えるゼロからは作り直せない要素だ。住まいを分かち合おうとすれば、互いに話し合い、住み方の基準を決める。街を分かち合おうとすれば、街を語りあい関わり合う活動が持続する。そこには、生産と消費という匿名の市場交換可能な関わりではなく、実名の持続する関係が積み上げられてゆく。
2013年10月10日発刊の『月島再発見学』は、そんな時代の要請に、建築家として応えてくれるのではと、期待している。