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チームTsukiji Womenの被災地支援「わが家の食卓」再生プロジェクトを思い出し、築地場外市場をもっと活かすことを考える

311以後の築地のおかみさん方の活動も、事業者ならではの、凄さでした。

 2011年5月10日から集め始めたチームTsukiji Womenの被災地支援「わが家の食卓」再生プロジェクトは、 築地市場を活かして、全国から集まった数千箱の支援物資により、現地バザールも次々と開かれました。
  6月10日釜石 6月11日相馬 6月12日東松山 
 6月20日東松島、気仙沼、石巻 6月24日相馬、女川 
 6月29日or30日 東松島 6月30日or7月1日 大船渡 
  7月2日 小名浜、南三陸 7月4日~6日 大槌
映像:築地市場内での仕分け現場 6月23日


市場移転後の築地は? 市場跡地の再開発が、好機にできるか?
築地】第6回再開発検討会議資料
築地再開発 周辺との関係図   23haを
記録:まちひとサイト
あとがき> 市場跡地の地権者は東京都で、オリンピック後には、多くの部分が民間企業に移ります。検討会議資料は、鉄道・道路や手段のことばかりで、こうありたいという内容を検討する場ではないのでしょう。中央区行政としての要望とは別に、一般には、どう現在の築地場外市場を生活に欠かせない処にして、多くの人を誘い合うか?
先ずは、築地場外市場を、区民の台所につなげ、勝どき・月島・晴海への帰りの寄り道に、夕刻から夜の営業にも期待を募らせましょう。
築地の夜は、市場の人繋がりでDeep だよ 第五回築地はしご酒!
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「あれから8年」311直後から被災地支援を、続けてきた佃LOVES

あれから8年の2019年3月11日も、佃LOVESの活動日でした。
支援立ち上げに積極的に参加した子育てママたちが、長くつづけられる範囲に絞ってきての活動が続いています。現地との連絡の糸を離さないでの、できる範囲のチャリティ活動・募金は、中央区健康福祉まつりへの参加、石巻日日こども新聞を佃小学校に届けて回覧してもらうことなど。
あれから8年 佃LOVES 01DSC03305のコピー 04DSC03303.jpg コミュニティルーム
佃LOVES東北 1 お母さんが 拡げてきた
佃LOVES東北2 組織からの立ち上がりは

佃LOVES東北4 3月30日積み込み


東日本大震災からのことを自分ゴトに まちひとサイトの記録から
記録:まちひとサイト
あとがき> 私の周りでは、被災直後の銀座の教会の方々の対応が早かった。現地への行っての情報収集、支援物資輸送のためのトラックの手配、修道士の奥さんのネットワークでのお米を炊いた炊飯器を持ち寄ってのおにぎりづくり、交代で現地へ運転するお父さんたち、、、。毎週金曜日の夜に出て、日曜日に帰ってきて。支援資金は、教会のネットワークでイギリスやアメリカからも届きました。中央区社会福祉協議会の会員が提供した燃料も、このトラックで届けてもらいました。石巻に現地の拠点ができると、女川から南三陸へと支援を展開。月日が経って、モノから気持ちの支援へ、音楽を届け、浜町音頭保存会の訪問手配も、二年に渡り、続けてくれました。そして、続けられる人/ことが途切れずに、震災を知らない子供たちへ、石巻の子供新聞を届けています。

災害に備える体制があり、それに応じる方々が、役割を交代しながらも、続けてゆくこと。


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「関東大震災避難記念碑」が新大橋脇に、「お助け橋のいわれ」には、誘導された方の記憶も

新大橋から浜町公園への道、落ちている塵を拾う方の向こうに、「お助け橋のいわれ」の碑があります。その向こうには、関東大震災後10年目を記念して建てられた「震災避難記念碑」が。今の新大橋は斜張橋ですが、1912年に建てられた鉄骨のトラス橋上に、震災時避難できた方も多く、水天宮や小網神社の御神体も避難したそうです。
東京大空襲でも橋は耐えましたが、橋台の沈下が激しく、1977年に架け替えられて今の姿に。
新大橋脇で塵拾い 高札の写真
記念碑と高札
記念碑の脇の「人助け橋のいわれ」には、橋に誘導された久松警察署の方の記憶も。
お助け橋のいわれ
取材・記録:まちひとサイト
あとがき>震災や戦争の当事者の記憶も、世代を重ねるほどに薄れ、危機管理も消極的なイベントになりがちです。被災対応された方々は、救いきれなかった記憶も多く、多くを語りません。戦地に赴いた人たちも寡黙です。

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